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家族の回復ⅺ 友人の宣教師の葬儀にて

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月24日
  • 読了時間: 6分



フェイスブックに書いた

6年前のストーリーです。


以下facebookから


信田和富宣教師の天国への凱旋を見送る

特別な記念礼拝が昨日

埼玉県は上里のブラジル人たちの仲間の教会で行われました。


急な記念礼拝の運びとなりましたが

信田さんを愛する多くの仲間たちが駆けつけてくれました。

みなさまありがとうございます。

来れない中でも沢山のお祈りをありがとうございます。


特に、信田さんの大好きな

賛美奉仕のために

無理矢理でも、大変な中でも

どうしてもお願いしたくて依頼を受けてくれた

仲間たちに心から感謝します。


また、信田さんのために私を送り出してくれた

いわきの家族、仲間たちに心から感謝しています。


今回の信田さんのために私が動けたのは実に奇跡でしたが、

ご家族のご都合と法律の兼ね合いの中で昨日記念礼拝が無事にできたことは

まさに信田さんを神様がとても愛されているからなのだろうと理解して感謝を捧げます。


昨日の記念礼拝開催までのいくつかの難題をシェアします。


日本では死後一週間以内に火葬しなければならないので、ご家族のご都合である土日に追悼礼拝ができて、しかも出席者が日曜日に礼拝を守る牧師たちが多い中で、火葬場も15時が最後の伊勢崎市の都合を踏まえて、自由に式を行えるのは昨日の午前中のみでした。


いわき市から引っ越しを群馬にしたものの

まだ住所がいわきにあった中で、倒れて運ばれた病院は伊勢崎市でした。


信田さんが倒れてから、余命ゼロと言われたと関係者から聞いて、最期の会話になる気がして先週の日曜日の夜に酒井さんと一緒に鶴谷病院まで車を走らせました。


その時は冗談も言えたし、今日明日ではないなと感じ、一旦はいわきに戻りました。


それから、毎日、そばで見守るブラジルの教会の仲間たちと連絡していたら、今晩が峠ではないかと連絡を受けて、23日の夜に再びいわきから酒井さんと急いで病院にむかいましたが、もしも、最期になるならば、酒井さんと信田さんを看取れたらと心に迫られ、朝までそばにいさせてもらうことになりました。


さらにいわきから駆けつけた4人の仲間たちと交代で朝まで祈りと介添の時間となりました。


痰が絡み苦しそうに呼吸する信田さんに

容赦なく入れ込まれるカテーテルでの吸引

器官が傷ついて出血し

痛みのゆえに信田さんの右目から流れ落ちる涙


生かされることと

また本人の意識がないから看護師の処置に無抵抗に苦しむその姿に私も酒井さんも胸が痛み、なんとか信田さんが楽に呼吸ができないか考えて、

体位を真横にしてみると呼吸が落ち着き、痰がからまなくなり、数値は一旦回復します。


仲間たちに体をさすられながら、体位を支えられながら、厳密には平安のなか、苦しまないで24日の午前3時55分に息を引き取りました。


そのあとお医者さんがブラジルの仲間たちの病院到着を待ち、

4時39分に死亡診断がなされました。


この後から数時間の間に、火葬の準備をしなければなりません。


一週間以内


しかも、住所はいわき

役所の手続きも様々


もしかしていわきに行く必要が発生するか

朝9時で様々な判断を待つことになります。


鶴谷病院では、市外に住所があり、家族のサインがない場合、院長が代役をした事例がありませんでした。


いわき市に行かず

家族のサインもなく最短で

次のステップに行けるのは、院長の代役。


恐らく断られるだろうと葬儀屋さんに言われましたが、病院の歴史で初めて

院長がサインをしてくださりました。


それが午前9時に確定し

なるべく多くの方が来れるように翌日15時最期の火葬を予約し、本格的な礼拝の準備が始まったのでした。


信田さんへの感謝は書ききれませんが

しかしながら、私がどうしてもここまでして恩返ししたい理由がありました。


それは2011年5月12日にさかのぼります。


7年前

私の愛する娘、愛波(えりな)が東京の訪問先で、朝方突然死で天に召されて、いわきに体を運ぶ時に車に同乗して、娘をずっと抱っこしてくれたのが信田さんでした。


この記憶と感謝を忘れたら私は人で無しですが

あの時の信田さんから受けた愛情はいまも同じです。冷めていません。


私にできることは

できるだけ信田さんの好きなことを

追悼記念礼拝の中で盛り込んであげることでした。


いまだからお話できることですが

被災地に来たのも、奥山先生と神田先生たちに

いわき市にイカピーというのがいるから

手伝いにいってくれと頼まれたことが

きっかけでした。


私が政治の道にも関わることを決断し

支援センターを離れてからも

信田さんにグローバルミッションセンターを

私の代わりに支えてくれとお願いし

本当は上里のブラジル人の教会の仲間たちと

働きをしたい中で、精一杯、7年間

行ったり来たりではありましが

最後の最後まで助けてくれました。

ありがとうございました。


私が青年時代の悩める18、19歳の頃

ミッションバラバという

元ヤクザのクリスチャンチームのビデオに

励まされ、沢山の勇気をもらいました。


それは、恥ずかしい罪を告白する勇気でした。


それから、7年ほどたって

お会いしたのは御茶ノ水。


祈り会であのビデオの向こうにいた

信田さんとお会いして

沢山の感謝を伝えました。


その時、信田さんが初めて会った私に

奥さんと離婚しそうで

家族がバラバラになりそうだと告白してくれて

家族の回復を祈りました。


それから震災で再会することになりす。


信田さんは顔立ちも心もいいので

もてたでしょうから

信田さんとは再婚についても相談されましたが

私は駄目だとずっと言わせていただきました。


あの時、祈った家族の回復


亡くなる前日に実現しましたね。


奥様は過去のことを亡くなる直前に

全て赦しますと伝えてくださいましたね。


昨日は沢山、奥さんと娘さんと話せました。


娘さんには信田さんに

あなたとお兄さんのために

ただ1人のお父さんでいてもらうことしかお手伝いできませんでしたと

はなせました。


奥様もお子さんもクリスチャンになられたので、天国で家族が再会できます。


そして、娘さんとは

信田さんのバトンを受けて

これから一緒に働きましょうと

話せました。


私の人生の恩人に感謝し

娘さんと一緒に意志を受け継いでいきます。


信田さん

あなたのおかげで

あの時の1人の若者が

ここまで成長できました。


あなたに代わり

お子さんたちのためにできる精一杯を

神様に祈り聞いて仲間たちと実践していきます。


サミラやセルたちと大好きな賛美を

続けていきます。


See you again

Good bye

再見


God be with you

 
 
 

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