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教えない指導とは?

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 5月12日
  • 読了時間: 7分

教えない育成とは?

指導者が成長していく姿勢を

示していくには?





1956年にフランスのサッカー誌

フランス・フットボールが創設した

サッカー界の世界年間最優秀選手に与えられるバロンドール


そのを受賞した

現在マンチェスターシティ所属のロドリを育成した

スペインのサッカーリーグ、リーガエスパニョーラの

サッカーチーム「ビジャレアル」で

育成を任されてきた佐伯有利子さんの

お話しはとても素晴らしいです


サッカー以外の全ての分野でも

共通する育成の姿勢です


日本代表を歴史で初めて

ワールドカップ本戦参加に導いた

岡田監督や


元日本代表の本田圭佑さんも

世界で戦われて

佐伯さんのような

人材育成に取り組んでいるように


メッシやクリスチャーノロナウドを抑えて

世界最高の選手として認められた

人材育成には聖書の価値観と同じ重要なことが語られています


子育てや

人材育成や

教育に携わっている人ならば

誰もが悩むテーマは

その人の良さや個性を

その人らしく

その人のペースを考えて

どう伸ばしていけるか

そのことでが一つではないかと思いますが


この佐伯さんの話は

サッカーという環境で気づかれた指導や育成における

大切な指導者たちの姿勢ですが

これは全ての分野の

全ての大人

指導者

教育者

リーダーたちにも

共通するお話しと思いました


佐伯さんのお話しは

私の妻が学んだ

世界で多くの若者を輩出することになった

YWAMことユースウィズアミッションの

創設者のローレンカニングハムに

インタビューした際にも

同じ事を話されて


指導者の謙遜に学び続ける姿勢は

私が学んだ聖書学校で

ギリシャ語の辞書や文法書を作られた

織田昭氏も持たれていた姿勢であり


沖縄で私が23歳の時に出会った

世界的な陶芸家の島武己さん


また父の建具を教えた

国宝級と呼ばれた方がされたことと

共通しているので


やはり育成や

教育はここに帰ってくるのだと

思わされた次第です


このビジャレアルの育成で素晴らしいことは

現代では誰でも結果に対して

自由に自己解釈で評価できる時代で


いかにもその人がなにもかも

知っているかのような

そんな言論や表現が誰でも

それこそAIを使って

いかにも自分で学んだかのように

誤魔化すことができる時代に


この指導者たちは

子供達をカメラで撮影して評価することではなく

指導者が

自らにマイクをつけて

自らにカメラをつけて記録を残して振り返りながら

自らの言葉や行動をまずは

大人たちから

指導者たちから

見直すことを始めていることです


テレビやサッカーの試合を

誰かと一緒に見ていても

サッカーを知らない人ほど

自由に

結果論だけを言われて

選手を罵ったり

いかにも自分の方が分かっていたかのように

できるかのように

優れているかのように

言葉を発してしまいますが


サッカー界で本気でやればやるほど

やってきた人ほど


そのプレイの難しさや

その場面の厳しさがわかるので

選手たちを励ましたくなるわけですが


指導者や

育てるという視点に立つならば

まずは教える側が

まずは自らを成長させ

変化させる取り組み

またその言動、行動に対して

真剣に向き合う姿勢こそ

子供達に

また相手に

伝わっていくものだと

思わされるわけですが


そして

教えないという考え方は

とても大事な姿勢です


YWAMの創設者のローレンに

人材育成に一番大切なことは

なにかとインタビューした際に

彼はこう答えました


先生は「学び続ける人でなければならない」と


英語ではわかりやすかったです


Teacherは

Learnerでなければならない


世界最高のサッカークラブでさえ

子供達の育成には

この

指導者こそが

学び続ける姿勢を

どう相手にわかりやすく示していけるか

また、教える時に

主語を

指導者ではなく

選手にするときに


それで相手が答えを自分で見つけるために

「問い」をなげていくという

コミュニケーションになったことも

素晴らしいです


本日、2025年5月12日は

突然死した次女が天に召されてから

14年を迎えます


その娘の突然死で学んだことは

聖書にある「盗んではならない」とあるけれど

人のものだけではなく

そのアイディアや

答えに至る「プロセス」を

盗んではならないと思わされたのですが


まさにビジャレアルも

教え方の中で

子供達が自分でたどり着かなければならない

その答えを簡単に

答えだけ教えて

押し付けて


できたか

できないかだけで

結論づけてはならないことを

指導者たちが気づいたように


一緒に目標に向かって

大人も

親も

指導者も共に

子供達と成長していくことが

どれほど大切か確認となっています


それを誰もがトライしていかなければならないし

人生最後までトライし続けることが

大切であること励まされます


現在、SNSやAIでなんでも

知ってる気になれる時代に

それを自らの体験や

関係性から得られたものか

そうではないのかで


人に物事を

伝えていく姿勢も変わるのだと思います


聖書の一番大切なことは

神を愛し

隣人愛を自分のように愛することだと

あの沢山の律法やルールは

それが動機であり

それが全てであり目的であることを

教えてくれていますが


隣人愛を突き詰めていくときに

国籍や

年齢や

性別や

様々な互いの違いを超えて

リスペクトしながら

学び合っていくその姿勢に

人は影響を受けていくものだと

この佐伯さんのお話しからも

また感動をもらいます


この動画を見て

間違えたくないのは

このような素晴らしい選手や

最高の賞を得た人を育てたから

素晴らしいのではなくて


それぞれの家庭であれ

今置かれている学びの場であれ

職場であれ

どこであれ


世界最高の人材育成の場で

大切にされていることは

今からでもみなさんができることであり


すでに多くの方達が

実践されている

本質であるということです


世の中は

いわゆる成功した人たちのモデルを利用して

これこそが

素晴らしいやり方だと

そのマニュアルや方法論や

自己啓発を金儲けの道具にしてしまいがちですが

多くの場合

気づいても

気づいてもいなくても

子育てや

教育の場や

人を育てる環境において

人がトライアンドエラーして

みながやっていることであるわけです


メディアで

特別な人たちにフォーカスが当てられて

その方法論に走りがちですが

大事なことは

隣人へのリスペクトを

どう自らが気づいて

自らを大切にしながら

関わっていけるか


使徒パウロはこのように指導しました


教会で議論されていた

あるトピックに対して

こう語りしました


"次に、偶像にささげた肉についてですが、

私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。

しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。

人がもし、何かを知っていると思ったら、

その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。

しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。"


コリント人への手紙 第一 8章1~3節


また、エレミヤ書には

こうあります

教えない育成とは

逆説的で難しいように思えますが

神様は人類にこんな驚くべき約束もしてくれました


"見よ。その日が来る。--主の御告げ--その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。


その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。--主の御告げ--


彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。--主の御告げ--わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。


そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。--主の御告げ--わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」"


エレミヤ書 31章31~34節


人はみな神の前に等しく創られており

聖書はみな愛されているし

また完全な人がいないことも語られています


人は本来

互いにリスペクトする存在であり

互いから学んでいく存在として

生かされていると知るならば


テロや戦争や争いも

抑止して

防止して

終わらせていくために


一人一人の

生きる態度を変えることから

次の選択では

生かす選択へと

変えられていくことを願っています


ましてや大人たちの

子供への教育が

憎しみや

復讐ではなく

愛することと

赦すことと

共生していける未来であることを

2025年戦後80周年だからこそ

また本日は突然死で天に召された娘の記念の日だからこそ


強く願うものであります

 
 
 

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