神のことばの学び 第二回
- アイラブジーザスチャーチ
- 2024年6月5日
- 読了時間: 4分

※イスラエルで聖書を読む長男(当時4歳)
ペサハ(エルサレムの友人宅の過越の祭り)にて
聖書から神のことばを受け取って
日々の生活、人生の歩みを確かなものとしていくために
そもそもの聖書とは何かも学んでいきたいと思います
第一回では神のことばをイエスキリストによって聖霊によって理解していくことを
歴史の概要と共に学んできましたが
「聖書」というこの日本語表現
聖なる書って
新約聖書と旧約聖書で親しんでいる私たちの教会文化ではお馴染みですが
新約聖書の原典ギリシャ語を調べてみると
「聖書」という単語はありませんので
「the book」とか「その書き物」とか「その文字」という表現を
日本語で「聖書」と訳しているわけです
「聖なる書物」
天地創造のはじめから
神のことばが語り継げられ、書き残された唯一の本だから「The Book」
その書物は神様のご性質で語られてきたものであるから
聖別された神の言葉の書き残された書物
その聖とは神様の清さ、ご性質、存在そのものであり
一点の曇りもしみも淀みもない私たちの命の基準である神のことばは
神のその聖なる性質である義と愛によって語られ、書かれています
新約聖書の福音書のヨハネの福音書1章はまさにことばから始まります
"初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。"
ヨハネの福音書 1章1~5節
そして、旧約聖書の一番最初
トーラーと呼ばれるモーセ五書の創世記でも
神はことばでこの世界を創造します
"初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"
創世記 1章1~5節
聖書は
旧約聖書39巻(ユダヤ人はモーセ五書、預言書、諸書でサムエル記、列王記、歴代誌を一つと数えるので36巻)と
新約聖書27巻(福音書4、使徒の働き1、手紙21、黙示録1)があり
他に聖書外典や偽典もあります
教会のスタイルによって外典の扱い方は違います
とりわけ、聖書には
神様=イエス様が直接語られたことば
預言者を通して神様が語られたことば
歴史的事実、歴史的描写
神と人の関係の詩的表現、物語的表現とあります
世界で最も読まれているコーデックス本(見開きスタイルの紙バージョン)の聖書は
グーテンベルグの凸版印刷始まって以来
「本の中の本」は未だこれよりも読まれる書物は存在しないほど
世界の中心であり、人々を救い、個々人の人生を導いてきたわけですが
聖書を読んだり、学んでいくにあたって
私たちは知識やリサーチだけで神の心を全部知ろうとしたら
時間も能力も足りません
それができる人は残念ながら世界には一人もいません
しかし、私たちが天地を造られた神様との関係が回復する時
すなわち天地を造られた神様が一人一人との親子関係回復のために
その神との関係改善の隔たりとなっている
罪という霊的な障壁及び断絶状態を取り除きまたは克服するために
神が人となり人類の一人一人のために十字架で罪の代価を払うために
メシアご自身の命が捧げられ初めて再開する神との直接の関係回復によって
私たちは神の霊、すなわち聖霊を受けて
神のことばの本質の意味を、また価値を意義を理解していくのです
聖書は神様のラブレターとたとえたり
神の人類への遺言書とたとえたり
それぞれの国を超え、人種をこえ、民族を超え、性別を超え、年齢も超えて
全てを超えて互いにコミュニケーションしていくために
神の国の神のことばを回復していく必要があります
その神のことばこそ
人類が失っていた神の愛のことばです
自らを、人々を命に導くことばです
アメリカやイギリスで生まれたり生活をすると英語を学べるように
日本なら日本語、韓国なら韓国語、中国なら中国語を覚えていくように
聖書にある神のことばを知る時
私たちは神様の愛のことばを学び
そしてそれは隣人への愛の実践となり
人々に死ではなく命に至る関係性を保っていくことができます
イエスキリストが地上に来られた時
神の国が来ていると教えています
そしてそれはやがて完成すると
その神の国の大使館のような働きをするのが教会であり
神の国の共通言語がまさにイエスキリストを通して回復する
神の愛によるコミュニケーションです
さて、これから
神の義と愛とを回復した
イエスキリストの愛の視点から
聖書全体を神のことばについて考えて学んでいけたらと思います。
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