神の創造の素晴らしさ 統計力学と聖書から考える解釈や定義
- アイラブジーザスチャーチ
- 3月19日
- 読了時間: 10分
更新日:3月27日
本日は、リハックという番組に出演した統計力学の専門家である
野村泰紀さんのお話を聞きながら
以前にブログでシェアしたAIの基礎を作られた情報幾何学の甘利俊一さんや
宇宙物理学の戸谷さんのお話を振り返りつつ
流体力学の論文を残してくださった科学者であり、技術者であり
牧師の酒井優造さんが亡くなるまでの2ヶ月間いわき市で
わたしのそばで神様の造られた世界について科学の視点で
伝えてくださったお話を思い起こしながら
アインシュタインの相対性理論やニュートン力学や
かつて虚無主義、無神論の代名詞とまでなった
ニヒリズムのニーチェのメンタルを考えたことを振り返っていました。
天地創造をされた神様がある学問と
それがない学問の差について
未来を担う子どもたちの教育を考えているからこそ
我が子に神様の言葉とともに
学ぶことの楽しさと大切さをこの時代だからこそ
何を伝えていくべきか考えています
そして、毎日毎日聖書と現代の学問について考えています
全ての学問において
神様がいる前提や
その神の存在を使わない場合に
言語的な表現や
物理的な表現の限界があることと
また、私にとっては
神様の領域でしか説明のつかないことがあることの確認となり
更には創世記の「初めに神が天と地を創造した」というこの真実と
ヨハネの福音書の「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずに造られたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
この真実さと
黙示録の最後には
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために
わたしの報いを携えてくる。」
この創世記から黙示録に至る神の真実や真理で心慰められています。
神の創造の現実とやがて起こることについてを
量子力学が注目され宇宙物理が注目される昨今
人類はやがて起ころうとする出来事について
色々と考えて答えや自分なりに腑に落ちることを求めていることを感じています。
天地創造をされた神様が
唯一ご自分の似姿に創造された人間、人類、すなわち私たち一人一人
その造られた朽ちない、物理学的な膨張して終わりがない
原子、分子、電子、陽子などの量子力学では説明できない神の霊の命の領域
神の国の現実性と完成の世界。
永遠の被造物の世界における神と人間と動植物の愛における調和が
神の声よりも
悪魔の声を選択したために失ってしまい
神との信頼関係の損失
その信頼関係の断絶は
エデンの園にある善悪の知識の実を食べることにより
人が神の代わりの歪んだ基準で
全世界の現象、事象、事実や存在に対しての
神以外を基準とするものの見方と判断と定義と解釈の
その行く末に命の価値や倫理の基準や選択の責任などがないことを感じて
どんなに学問が発達しても無限の神の偉大さの一ミリも理解できないことと
しかし、神に土台をおいて全ての歴史や学問や研究を見つめるときに
そこに価値ある発見が宝のように散りばめられていることができるのは
大変素晴らしいことだと考えています。
AIが注目されるから調べた行先に
数学や情報幾何学があり
情報幾何学を支えるITの世界は
認知神経科学の人間の精神的な側面の重要性や捉え方に興味も与え
宇宙物理学から熱力学や統計力学までその学びが連携していき
そして、全ての学問の結論づけられないところに
神様がなさったことや
神様がこれから実現されることで
本日は自然界や宇宙の研究の基礎となったユダヤ人のアインシュタインの
特殊相対性理論と一般相対性理論について考えていました。
ユダヤ人たちに与えられている聖書の神観
そして、世界観の素晴らしさと
全ての学問の主語や
ことの発端と終着を神に位置付けない場合の
その考えることの限界をも感じています。
善悪の知識の実を食べることに誘惑されて
神のようになれると騙された人類は
実際に自然界を管理することを任されたわけですから
主語や主体を神様に置かなければ
全ては自分をその位置に置き換えて
主体を自分や神以外の「誰か」や「何か」にして
そして、その世界観や価値観で善悪
そして、正誤を判断して
人を測るようになることを思わされています。
善悪の知識の実を食べて失った永遠の命
すなわち霊と肉体が調和して一つになっている人の状態は
善悪の知識の実で神との関係性が断絶されて
エントロピーの法則
熱力学の法則で表現される
断絶された世界は肉体の初めと終わりという有限の中で
永遠や無限を失って
痛み、苦しみ、悲しみ、殺し、騙しなど
本来の人間には選択のなかった
隣人関係との歪みが
人生を本来とは違った方向へと
向かわせてしまっていることを考えさせられます。
永遠の存在として造られた人間
そして、その永遠の存在こそ
神様と同じ似姿の本来の形の重要な本質であり
それが愛や真の命と表現される人間のあるべき姿です。
永遠の命を時間だけで考えると限界があるのは
神様は時間の外におられるからです。
もっとえいば時間さえ神様が造られたのです。
それを現代の物理学や学問で言うと
相対理論で説明されてしまい
そこには無機質で愛のない世界も存在してしまいます
永遠とは断絶のない、連続性のある、非有終であり、不死であることとも
表現できます
永遠の命を与えるために
もっと言えば
本来与えられていた
失った永遠の命をもう一度回復させるために
神が人となって
いわゆる人間と対話して、私たちが自分のこととして理解できる姿で
十字架で断絶された関係修復の贖いの愛を実行してくれて
断絶されていた永遠の命
私たちの存在が肉体の死で終わってしまうような
本来の人間の在り方や営みではない
本来の完全な姿に戻してくださる
それがまさに
熱力学でいつか終わってしまう肉体の死が「人生」ではなく
本来作られた神の似姿である価値ある存在に回復して
神と人とが愛し合う関係性が終わらない状態になることを
永遠の命を得るという表現ができるのです
今の時代
神の言葉の定義の前提や
神の心が示す言葉の本質を無視したり
脇に置いたり
逸脱したり
完全に無視したり
様々な事柄が学問で言語化されているわけです。
心療内科でも次から次へと新しい病気が定義づけされているように
また、学問の世界でもこれまで使われてきた言葉の再定義や変更や
アップデートがなされているわけです。
その学問の土台に創造主なる神があるのか、ないのか
あるけれども表現していないのか
神を無視しして言語化しているのか
神を否定するために言語化しているのか
それぞれの心の動機や考え方がとても大事です。
わたしは人は皆
神様に作られた素晴らしい存在だと捉えて世界を見ているので
どんな人も
神を否定したい人でさえも
その人に与えられている素晴らしいものを認めて、見出して
そこから学べることがあれば受け取りたいと思っています。
だからこそ、色んな方達の研究や努力の成果を知るとき
そこに感動があります。
さて、私が日本のアカデミーが世界トップのアカデミーと並んでいけるために
京都大学や東京大学で学んだ方達に
ハーバードやオックスフォードやケンブリッジが
聖書学校であったことを踏まえて
聖書の言語解釈学とそこからの世界観が
アカデミーの最前線を引っ張ってきたことをお伝えしています。
なぜ聖書の理解
もっと言えば
健全な解釈が大事か
なぜなら聖書はヘブライ語とギリシャ語で書かれており
その各国の言葉に訳された翻訳の言葉が時代や自国の文化で理解できるか
置き換えられているかを知るためにこそ
ヘブライ語とギリシャ語の学びは有意義ですが
ヘブライ語とギリシャ語も万能で完全な言語ではないので
ヘブライ語が意味する言葉の本質を調べ
ギリシャ語の意味する言葉や時制を調べますが
ユダヤ人たちに天才が多いのは
母国語がヘブライ語なので直接的に歴史や文化を踏まえて
言語解釈しやすいことと
それを第二言語である英語に置き換えて
世界と対話しやすいからこそ
ユダヤ人たちは聖書から知恵を得て新しい発見や創造がしやすかったのだと
学問やビジネス界のリーダーたちの共通点からそのことを垣間見ます。
しかし、今AIの発展により世界の言語と対話しやすい時代になったので
英語を知らないと人とコミュニケーションできない時代ではないので
日本語から世界の各国の言葉と直接に互換できるので
素晴らし時代だと思っています。
だからこそ、世界に7400も言語があるので
一つの言語の世界観だけでは相互の対話が成り立たないことをもわかります。
聖書ではバベルの塔以前は一つの言葉であったことを教えており
神の言葉によって世界が共通のコミュニケーションができるので
その日が来るのが楽しみです。
聖書は神の霊によって
神の霊感によって書かれた
そして、神の言葉を聞いた人たち
神の言葉を預かった人たちがその言葉の本質を伝え続けてきているように
物理的限界や
物事の終焉や
滅びや消滅を
永遠の愛と平和の命の状態に回復してくださるのが
創世記から黙示録まで神が一貫して啓示している
イエスキリストの存在です。
全ての学問
歴史、言語、文化、隣人との関係性は
イエスキリストによって命あるものに回復します。
善悪の知識の実を食べて以来
人は神と関係が断絶されて
肉体と霊が分離して
肉体の死が発生して
そしてその死に至る時間も早くなり
多くの人たちが
神の存在という
神が創造したという前提を抜きにして
世界観、未来感、歴史観を考えるので
そこには果てしない答えの出せないイメージに支配されそうになります。
悪魔がエデンの園で人類に与えた誘惑、惑わし、攻撃は簡単でした。
真実を疑わせること、迷わせることでした。
それまで真実と虚偽を選択するという行動パターンは存在していなかったのに
善悪の知識の実を食べさせるために
惑わして
「疑問」、すなわち真実を「疑う」という現象を提供しました。
そして、疑うという選択肢が生じて
人生が疑いで彷徨うという人生を歩むようになったのです。
神を知らない人や
神を信頼しない場合に
疑いが苦しみを増加させることがないか
是非ともご自身の心と向き合ってみてください
神は疑問を与えません。
質問を与えて
そして答えを提供します。
悪魔は疑問を与えて
悩ませて、さまよわせて、苦しませて
答えを与えません。
そして、責任を取りません。
神は答えを与え
回復を与え
命を与えてくださいます。
責任をとってくださるのです。
今回の統計力学で表現されていた時間の概念
時間は有限であり
無限になった途端に時間はなくなります。
イエス様と出会う人生はまさにそうです。
有限の人生の中で
無限の時間を超えた神の国を再発見するのです。
多くの真面目な学問の中に
私は神の創造の現実性と
神の国の世界観
また黙示録の世界観を味わうことができて感動しています。
本来神に造られた人類一人一人が
汗水流して
骨折って
血眼になって
命をかけて
あるひとは迫害されて
ある人は理解されずに命を絶って
しかし、その全てに与えられているものは
神様にあって全て宝物になることを思わされています。
聖書は人間の中に義人は1人もいないと言っています。
神の目に全ての人は愛されていて
公平で
それぞれに相対的には測れない
比べても正しく評価できない
素晴らしい役割と能力と可能性が与えられています。
神を基準にしたとき
心の中に
またアイデンティティーに染みるように与えられる充足感や満足感、そして幸福感
救いが与えられます。
神は実にその独り子をお与えになるほどに
この世を愛された
それは御子(イエスキリスト)を信じるものは
1人も滅びることなく永遠の命を持つためである。
この記事を読まれる1人でも多くの人が
神の愛に気づくことができますように
すなわち天地を造られ
あなたを(人間を)造られた動機が
愛であることに気づけますように!
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