神様の世界に対しての伏線回収のドラマ 黙示録の学び2章・3章
- アイラブジーザスチャーチ
- 2月20日
- 読了時間: 7分



エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤの
書教会にあてて語れられている神のことば
これは当時も現代もその本質から学ぶべますので
順番に追っていきたいと思います
エペソはパウロが手紙を書いたように当時すでに活発な教会があった地域である
現代のトルコ西部にあたる地域
神様がヨハネを通して語られたポイントは偽使徒を見抜いていたことからわかるように
本物と偽物を見抜く力を持っており
ニコライ派、すなわち支配や征服をしようとする人たちの行いに準ずることなく
信仰の迫害にも耐える人たちだったけれど
初めの愛から離れてしまっことを悔い改めることであった
クリスチャンにとって
教会にとって
イエス様から受けた初めの愛から離れることを自覚していたり
離れたと他の人からそのように指摘されることはとても心痛むことです
救いの喜びを味わったイエス様との出会い
その愛に応えたいと歩んでいたにも関わらず
そうではない状態に陥ったとしたら
それは悔い改めのポイントです
「悔い改め」が神様の価値観の方向性に向き直すことであれば
「的外れた状態」=罪の状態にあることを認めて
神のみことば=神のいのちの価値観へと向き直す機会としなければなりません
続いて、スミルナの教会から学ぶことはどんなことでしょうか
現代トルコのイズミルの古代名スミルナ
自称ユダヤ人、サタンの会衆である人たちから罵られ
イエスさまに対しての信仰に立ちながら
苦しみと貧しさを経験しながら迫害に耐えている人たち
イエスさまの時代から現代に至るまで
信仰の従順の故に馬鹿にされ、苦しみを受け
そして、経済的にもチャレンジを受ける人たちがいます
そして、キリストにある信仰を認めない人たちによって
牢獄に入れられる経験までする人たちがいます
このスミルナの教会の人たちのように
死に至るまで信仰の従順を守る人たちに対して
イエスさまからの永遠の命の報いの重要性と真実性を教えられます
この時代にもなお信仰の従順によって命をかけて宣教をする人たちがいます
黙示録のこの書かれた当時だけではなく2000年間
この従順なクリスチャンたちは今もなお存在するのです
ペルガモの教会に語られた神様のことばはいかがでしょうか?
こちらも現代のトルコの西部に位置し
サタンの王座があると指摘された町
アンテパスが信仰の故に殉教したように
サタンの王座がある場所でも信仰を貫いた教会であった
がしかし、バラムの教えやニコライの教えが教会の中に
入り混じっていた様子が指摘されている
このことはペルガモの教会のみならず
イスラエル王国の12部族も同じ過ちを犯し
現代に至るまでキリスト教会も同じ過ちを繰り返しながら
イエスさまに修正されながら歩んできている
ペルガモは間違った教えについての悔い改めが指摘されていますが
その不純物のように入り込むイエスさまの純粋な教えに立って
その不純物を取り除いていくとき私たちは神様からの人知れず報いがあることを感謝して
この時代の中でも混じり込んでくる
教えの不純物をしっかり取り除いていきたいものです
次はテアテラの教会です
ペルガモの近くにあったテアテラ教会
素晴らし信仰の実践をしていた教会
愛、信仰、奉仕、忍耐、そして成長
立派な実践をしていた教会でも偽預言者イゼベルが存在して
不品行を導き、偶像に捧げた肉を皆に食べさせていることが指摘されている
立派な信仰のある教会に
致命的な存在の人間がいても止められないことがあった
これもまた歴史で繰り返されてきたことです
教会が一夜にしてなくなったという話があります
こんなひどい人物がいる教会でも
信仰に揺れることなくイエスさまのことばにしっかりと立って
サタンの誘惑に負けずに勝利していく人たちもいるのです
このような過酷で激しい悪魔の戦いに勝利するクリスチャンたちに対して
神様から任されるものは大きい権威です
イエスさまが天の父なる神様から支配する権威を任されるように
そのようなクリスチャンたちは諸国を支配する権威が与えられるのです
悪魔の働きの大きな場所でもなお
その間違った教えや振る舞いに惑わされることなく
イエスさまのことばにしっかりと立っていきたいものです
続いてはサルデスの教会ですテアテラの南部です
この教会は致命的で
もはや信仰の行いが死んでいると指摘され
目を覚ましなさいといきなり語られます
目を覚まして、死にかけている人たちを力づけなさいとあります
かつては信仰に燃えていた教会がバーンアウトして死んだようになることがあります
しかし、神様は信仰が汚されなかった人たちを用いて教会に
息吹をもう一度注がれることをされるのです
リバイバルという教会で使われる言葉がありますが
リバイブならばかつてあった生きた信仰がイエスさまの命によって
再び息を吹き返すことです
イザヤがバールの偽預言者と戦った時
イザヤは自分だけ1人だと思いナーバスになりましたが
神様はイザヤのような信仰の人たちが7000人も知らないところで
準備されていることを教えられました
テアテラのようにサルデスのように
周りが堕落し、悲惨な状況に陥っても
イエスさまに対する信仰に揺らがない人たちを神様が残されて
そして、全体への悔い改めを促すことがあります
再臨を示唆する語りかけがあるこの箇所
自堕落な生活をやめようとしない人たちが
最も気づかなければならないことは
イエスさまの再臨がいつ実現するか誰もわからないように
私たちの命の時間の終わり日も誰もわからないのです
激しいサタンの誘惑とそれに敗北する人たちがいる時こそ
それぞれにまずは自らの悔い改めに励むタイミングと受け止めるべきです
天の命の書に名が刻まれることの素晴らしさを
神の教会がしっかりと味わって、証していきたいものです
フィラデルフィアの教会はいかがでしょうか
ダビデの鍵を持つイエスさまのことば
信仰に固く立って、迫害に耐えた人たち
サタンの会衆や偽ユダヤ人たちを見抜いて
この人たちが、真の信仰者たちのもとへ来て
ひれ伏すさせ
イエスさまがどれほど彼らを愛しているかを示すというのです
そしてイエスさまの忍耐の言葉を守ったことに対して
地上に住むものたちを試みるために
全世界に来ようとしている試練の時に、イエスさまが守られると断言されているのです
どれほど励ましのことばでしょうか
そして、この信仰の勝利をする者たちに
神の聖所の柱となることの約束を与えてくださっているのです
この人たちへの報いはどれほど素晴らしいものでしょうか
神の名が刻まれ
新しいエルサレムの名が刻まれ
神から与えられる新しい名前が刻まれるというのです
イエスさまのことばにまっすぐに立ち続け
そして、勝利していく人たちへの報いとしてこれほど素晴らしいものはないでしょう
フィラデルフィアの教会のように現代もしっかりと
教会に与えられたその権威をしっかりと守り、活かしていきたいものです
最後はラオデキアの教会です
信仰が熱くもなく、冷たくもなく
生ぬるい状態に陥っていたのです
イエスさまはそんな信仰なら吐き出そうと言います
イエスさまの愛の真骨頂
愛しているから懲らしめ、叱られるのです
熱心に悔い改めなさい
そして、その人が気づくまで心の扉の外からノックされ続けるイエスさま
その愛に応える時
そのイエスさまの真実の問いかけ
呼びかけに応える時
それが神との和解の時となるのです
心からの悔い改めをするものたちに与えられるのは
イエスさまと共に同じ座につくのです
イエスさまと共に生きていたはずの信仰生活が
この7つの教会に与えられて語られたイエスさまの語りかけを受け取って
今の自らの
また自らの教会の霊的な状態を重ね合わせて
悔い改めと信仰の成長をしていきたいものです
私たちはとかく
自分のことを棚に上げて
他の人が気になるものです
また、人のことばかり立派と思いすぎて
自己卑下にもなってしまうこともあります
信仰の従順と悔い改め
毎日毎日
一人一人がイエスさまに真剣に向き合って
成長していくものでありたいです
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