神様の世界に対しての伏線回収のドラマ 黙示録の学び4章
- アイラブジーザスチャーチ
- 2月24日
- 読了時間: 7分

※ギリシャの風景

※イスラエルの大統領官邸の中庭
かつて、私が聖書学校で学んでいるときに
世界的な天文物理学者として知られているヒュー・ロスさんが
当時わずか2人しか学んでいない学校の授業に参加してくださり
神様の素晴らしさ
聖書の素晴らしさをその立場から教えてくださったことがあります
この黙示録を理解するためにとても大事なことは
どんなに世界中の本を読んでも
独自に調べて知識があっても
アカデミックに努力しても
100点満点のものはどこにもありませんので
聖霊を通さなければ理解できないということを理解できたことがあります
そしてなぜ、いろんな宗教ができたか
また教会ですらいろんな教派ができていったか
非常に納得のいく説明をしてくださったことがあります
現在、神様の次元がありますが
それが何次元と言っていいのか正しくは表現できませんが
人間が今3次元もしくは4次元に生きていると言われています
私たちが太陽の光を受けるときに
地面に映る「影」が二次元であるように
ヘブライ書には「天にあるものの写しと影」という表現がありますが
神様の次元の領域のことを私たちが生きている時代や時間や言語の中で
表現できるには限界があります
元々、バベルの塔以前は一つの言語であったので
基準言語がヘブライ語でもギリシャ語でも日本語でも英語でもないわけですから
各言語の持つ「時制」や「人称」の限界
また歴史や文化で変化してきた言語が持つ意味の限界がある中で
神の次元を100%表現することは難しいことなので
黙示録は天の次元のことをヨハネが見て、聞いたことを
可能な限り地上で表現できる生き物や物質や音などで例えて言語化してるわけです
人間は無限で霊的な神様のことを全て知ることができませんので
それぞれに触れた(経験した)神様(天地万物の創造主)についてのことを
いかにもこれだけだと表現する時に間違いや違和感がありますが
黙示録、そして聖書全体はイエスキリストを信じることによって与えられる
神の霊、すなわち聖霊によって神の次元のこと
神様についてのことがわかるしくみ
設定になっています
ですから、人類の共通の言語である唯一のことばである
イエスキリストを介さない神観
また神の御心よりも自分の解釈を優先する教会観は
違いばかりを生み出しますが
神様の願うところは人類が一つになっていけることです
そして、元々私たちは神の霊が与えられている存在ですが
エデンの園の善悪の知識の実を食べて以来
霊的な命の永遠性を失ったので
イエスキリストの十字架の贖いによって
神の子供としてのアイデンティーを回復しなければ
神様の霊的な領域のことを理解できませんし
逆を言えば、イエスキリストを受け入れて
神の子供としてのアイデンティーを回復した人たちは
聖書全体を
また黙示録の内容を理解できるのです
さて、4章に入って
肉眼では見えないけれど
実際に今存在している天の領域のことを使徒ヨハネはそれを見せられて
描写していきます
宝石にたとえ
虹にたとえ
またはライオンやワシや人間や雄牛にたとえます
そこにある数や色などは認識しやすく
また最も興味深いことは
天でなされている礼拝で発せられる言葉を
ヨハネは聖霊によって理解できています
「信仰は聞くことから始まる」と聖書は言います
旧約聖書でも
神様は「シャマー、イスラエル」と言いました
「聞け、イスラエル」
私たちが自分たちの言葉で描写することに限界が常にありますが
神様の言葉を
聖霊によって受け取ることが重要なことであると考えさせらます
私たちが教えることに
また語ることには間違いが発生しますが
神様からのことばを聞くことはみんなができる可能なことです
善悪の知識の実を食べて以来
人類は自分の知り得たことを基準に人を測ってしまうことで間違いを犯し
また、神様しかできない100発100中の善悪の判断を
私たちがする時に間違った善悪の判断をしてしまいます
そして、黙示録を読み進めていくときに
私たちがそれぞれに解釈して内容を描写しても
そこには物理的限界、表現の限界が生じて
互いに歩み寄ることが難しくなりますが
私たちが歩み寄れる方法は
イエスキリストによって神のみことばを
神の領域を受け止めていくということです
人類はそれぞれに善悪を判断することで
争いや戦争や殺人など死に至らしめる結果を招いていしまいますが
神様の願うところは
全ての人が神に立ち返って永遠の命を受け取っていくことです
愛し合い
敵さえも愛し
隣人に対して
善悪ではなく
愛を実践していく時に
隣人との関係には赦しと和解が選択されて
命の関係性がそこに存在していきます
黙示録4章でヨハネが聞いた天での礼拝のことば
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。
神であられる主。
万物の支配者、
昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
「主よ。われらの神よ。
あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。
あなたは万物を創造し
あなたのみこころゆえに
万物は存在し
また創造されたのですから。」
天の礼拝で告白されている真実
万物が神様によって造られて
そして今も支配、すなわち、維持、管理、治められており
時間も神の中にあり
全てが神様によって成り立っていることを知ることができます
そして、神様の御座についている長老たち
いわゆる地上で神の御心に生きて
天でその報いを受け取った仕えるものたちが
その冠をおいて
栄光と感謝と誉れを捧げるほどに
その神様の存在が素晴らしいものであることを知ることができます
地上における最高の表現をもってしても
描写しきれない
神様の性質
その真実
そしてその命
イエスキリストを救い主として受け入れた人たちへ与えられる報いは
本当に素晴らしいものであることを4章だけでも味わえます
神が実にその独り子をお与えになるほどに
この世を愛された
それは御子を信じる者が1人も滅びることなく
永遠の命を持つためである
神様の願いは
人類が1人も滅びないことです
人のことを殺し
死んでしまえと考えるのは悪魔だけです
悪魔の声に聞き従う時
そこには愛とは反対の選択が生じていきますが
神の声を聞いて
そして生きていく時
失われたものが回復していくのです
一人一人が神様との親子関係が回復して
その天のお父さんからの相続権を回復していく時
そこには、救い、癒し、回復、和解、贖いが現れていくのです
神の御心が天でなされるように
地でも行われるように
私が、あなたがイエスさまと共に生きるとき
そこに神の国が完成に向かうのです
人間が把握しきれない
無限と永遠は
イエスキリストにあってそれを理解するのです
黙示録をさらに一緒に読み進めていくために
イエスさまへ共に謙って
解釈ではなく
神様のことばを聞く作業を共にしていけたら幸いです
そして、ヨハネは教会を通して全人類に神様が語られている
メッセージを受け取り
更にそれを描写していくのです
黙示録4章は以下です
"その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御《み》座の前に投げ出して言った。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」"
ヨハネの黙示録 4章1~11節
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