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娘の14年記念日にシェアしたいメッセージ 黙示録22章・エゼキエル書9章・第一コリント書15章

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 5月12日
  • 読了時間: 15分

更新日:5月14日

"御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、

都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、

神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。

もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。"


ヨハネの黙示録 22章1~5節


この神の約束と真実をわずか4ヶ月の人生で実践した次女のストーリーを


是非ともご一読ください


2011年1月8日


我が家に3番目の次女が誕生しました


今も忘れられないシチュエーションでの次女の誕生と


2011年5月12日


今も忘れられないシチュエーションでの次女の突然死


2011年3月11日に発生した東日本大震災はもちろんですが


我が家にとっては同じように少しも色褪せることがない思い出、記憶は


この次女のわずか4ヶ月の人生と


その誕生までの妊娠してから出産までの出来事です


口唇口蓋裂を持って誕生したこれまた記憶が薄れることのない妻の里帰り出産での


長男の出産の立会い


そして、東京で3年生活していわき市に引っ越しをする前に


里帰り出産ができない中で長男が通う昭和大学病院で与えられた長女の立会い出産


いわき、品川で長男、長女を与えられて


いわき市に引っ越しをして


3番目の次女の誕生を再びいわき市で出産を迎えるところでした


その忘れられない誕生の日に立会い出産を希望していた父として夫として


それと同様に重要な出来事が発生しました


それは親戚が行方不明になり警察に捜索願いを出して


その自宅まで訪問することになった日だったからです


娘の立会い出産を選ぶか


親戚の行方不明の捜索をお手伝いするか


これから生まれる娘との関わりはこれから長くあると考えて


親戚に万が一のことがあっては困ると考えて出かけた2011年1月8日


私の予感は的中し


私が目的地に到着する頃に娘が生まれるのではないかということは


その通りになりました


そして無事に親戚も行方不明から発見されて命も守られたのでした


忘れ難い嬉しい出来事が起きた思い出です


いわき市に引っ越して10ヶ月


娘は長男と同じく口蓋裂を持って生まれました


下のパスポートの写真に写っている通りです


手術前の写真ですので、生まれたそのままの姿が記録されています


毎回妻と祈りに祈りを重ね神様に子供の名前を求めていますが


次女の名前を神様に祈り求めていて与えられたのは


「愛波」と書いて「ELINA」、「えりな」と読ませました


この「ELINA」があえて「ERINA」ではないことに意味があります


妊娠8ヶ月頃いわきの妻の育った教会に海外から宣教師が来ていて


妻とお腹にいる赤ちゃんのために祈ってもらうことがありました


「この子を通して神様の愛が波のように流れていきますように」と


祈られて、そこから名前を決めることにしました


神の愛が波のように流れていく


そのイメージを名前につけたい


愛と波


読ませ方をどうするか祈り求めているときに


この娘を通して神様の名前が世界に轟いていきますように


また広がっていきますように


そのように思いが与えられて


ヘブライ語で「私の神」を「エリ=ELI」と言いますので


「私の神」の「名」とヘブライ語と日本語で合わせて


エリナ=私の神の名が神の愛と共に世界に波のように広がっていきますようにと


そのような思いを込めて名前をつけることにしました


ですのでパスポートの名前の表記がローマ字ではELINAとなっているのです


次女が誕生してからわずか2ヶ月で東日本大震災が発生しました


長男と同様に昭和大学病院に通い始めていた娘は


東京に長男と一緒に5月11日と12日に通院する予定でした


口唇口蓋裂の闘病生活は大変なので


奇跡的に神様の力で癒されてほしいということもありましたが


次女が風邪を引いたこともあり手術は延期することになりました


忘れもしない2011年5月7日


東日本大震災で支援活動で疲れていた私たち家族に


家族で休養をとるために使ってくださいという献金が与えられていました


そこでふと家族の思い出を残さなければならないという思いが心に迫り


妻と子供たち二人を連れて山梨まで一泊二日で静養に富士急ハイランドへ


遊びに行くことにしました


それも長男の大好きなトーマスランドがあったからでした


二日に及ぶ家族の思い出の時間を過ごして


5月9日は5月下旬に招待されていた台湾への旅行のために


家族全員でパスポート申請に行きました


5月10日は災害支援センターとなっていた妻の育った教会で


次女のために祈りを捧げる時が与えられました


そしてその祈りの中で


私は神様に「この次女を神様に捧げますので


神様の栄光のために用いてください」と祈りを捧げました


5月11日に長男の定期診察と次女の手術延期のために


東京は昭和大学病院に家族全員で向かうことになりました


この時もまた別の方から家族のために使ってくださいという献金が与えられており


再び、神様から家族の思い出を残すために時間を過ごしなさいと


心に語られるように思いましたので


思い切って、品川プリンスホテルを予約しました


なぜなら、品川プリンスホテルには


水族館と小さな遊園地のようなスペースがあったからです


水族館で子供たちと過ごして


遊園地のメリーゴーランドに次女を抱っこしながら乗せて


楽しい時間を過ごすことができたのです


夕飯を食べて部屋に戻り


翌日の5月12日の通院のために家族で妻と子供たちは横並びで寝ることになり


私は震災でクタクタで疲れた体をいくらか回復させたくて


部屋にマッサージを呼ばせてもらって


マッサージを受けながら部屋の別の場所で寝てしまっていたのです


そして、翌朝、朝ごはんを食べて病院に行くために


部屋の壁越しから順番に子供たちを起こしていくと


次女の息が止まっていることに気づき


妻を起こして状況を確認し


フロントに電話し救急車の手配をお願いして


心肺蘇生と人口呼吸をしながら救急隊たちの到着を待ちました


そして、次女が運ばれたのが昭和大学病院で


応急処置室に運ばれて父としてそばにいながら


処置台に運ばれて医者たちの診断を待つのでした


そして死亡診断がなされるのですが


私はそこでまだ娘が生き返ることを願って


聖書を開いて第一コリント書15章1〜30節を医者と看護師と救急隊員の前で


読み上げさせていただきました


"兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。

そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

最後の敵である死も滅ぼされます。

「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。

しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。

また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。

兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。"

コリント人への手紙 第一 15章1~31節


聖書を読んで、牧師として親として


娘が生き返ることを願って


行政解剖をするために娘の体にメスを入れることをしないでくださいと


お願いしました


ホテルで娘が亡くなったので事件性がないか行政解剖をしなければなりませんが


親としてメスを入れて欲しくありませんでした


しかし、行政解剖の手続きに移るために


娘は病院の遺体安置室に移動し


そこにいわきから仲間たちが駆けつけてくださって


娘のために祈る時間がさらに継続されていきました


そして、その後娘はホテルのあった品川区の高輪警察署に移動して


警察の遺体安置室におかれながら


また別の仲間たちも駆けつけてくれて祈りを捧げることになります


警察病院で行政解剖ができるのは14時まで


刑事と話し合って


蘇生する可能性を無くしたくないので


どうしても行政解剖でメスを入れられては困るとお願いしながら


警察病院に移動するかしないかの最終的な判断を待っていました


しかしながら、警察は14時までに行政解剖ができない場合は


一度帰ってもらってまた翌日に来てくださいと言うので


私は刑事の方にお願いしました


「本日14時を超えてもメスを入れないで死亡診断書を書いてくださるか


それが無理な場合は


私を娘のそばに置いてもらって24時間体制で祈らせてもらうか」


どちらかでお願いをすると


14時を超えて警察病院に移動して私の口頭による説明で


次女の死亡診断書を正式に出してくださることになったのです


その後、渋谷にあるお世話になっていた東京渋谷福音教会に娘と移動して


そこで24時間体制で祈りを捧げることができるようになりました


そして、翌日、車に宣教師の友人が娘を抱っこしてくれて


いわきの支援センターの活動拠点に移動したのです


そして、屋上の祈りの小部屋で引き続き24時間体制で娘のために


祈りを捧げる時間を継続させてもらいました


本来は火葬しなければならない7日目ギリギリまで祈りたかったのですが


いわきで移動して3日間、合計で4日間祈ることにして


その日までを娘のために祈る時間を継続することにしました


そして、祈り始めて3日目の夜


祈り部屋で祈っていた四人の女性たちの間に


突然驚くべきことが起こったのです


それは、娘の額にヘブライ語で神の名「ハシェム」の文字が浮かびあがったのです


その祈りを捧げていた姉妹たちはイスラエルに行き来する人たちで


ヘブライ語がわかる人で


一階の礼拝堂で祈っていた私の元へ


その娘の額の写真を撮った一人が驚きと共に走ってきたのです


私もヘブライ語が読めるので


その文字が「ハシェム」とわかったのですが


父親がヘブライ語だと言ったところで誰も信じないと思いましたので


「読めるけれども敢えて私が最初に口にだして言わないよ」と文字の解析は神様に委ねて


奇跡を礼拝するのではなく、神様をほめたたえようと、神様を礼拝しようと言いました


そして、その画像を女性たちが韓国の大学教授でヘブライ大学に学ばれていた方に


ヘブライ語かどうかを確認してもらって


その文字は私が確認した「ハシェム」と同じように読み解いたのでした


そして、不思議なことに


三日目の夜に神の名が娘の額に刻まれる前日に


北海道の牧師と茨城の牧師がそれぞれにこの神の名が刻まれることを


祈りの中で神様から教えられていたのです


北海道の牧師は祈りの中で神様が娘の額に神の名を刻まれるビジョンを見せられていて


茨城の牧師は聖書のエゼキエル書7章から


ケルブが額にしるしをつける箇所を示されていたのです


それはまさに黙示録22章4節を証する出来事になりました


この出来事ののち


5月17日に娘のための葬儀ではなく


献児式の形で礼拝を捧げていただき


そして5月19日に申請していたパスポートを受け取りにいわき市役所に行ったのです


そこで再びまた神様の憐れみを経験します


パスポートを受け取るときに次女は亡くなっているので


行政は亡くなった人のパスポートを渡すことはできないと言うのです


子供の形見も何もないので


せめて思い出のためにパスポートはどうせ役所は捨てるだけなので


私たちにいただけないかと相談しました


すると「市も県も通例や慣例にないのでダメだ」と言うので


外務副大臣と知り合いの牧師に相談して


外務副大臣に直接相談できないかと連絡すると


ある電話番号にファックスを送るように指示を受けます


そして、その30分後に副大臣の秘書の方から連絡があり


パスポートを死亡した本人の家族にあげるかあげないかは


「通例慣例の問題ではなく、同情心の有無の問題だと」


手紙を行政に書いてくださり


無理と言われたことが


わずか30分でパスポートを受け取れることになりました


叩き続け

求め続け

探し続けることを教えてくれているイエス様


祈るとは

天地を造られた神様に

人間ではどうすることもできないと思えそうなとき

神様と共に生き、歩んでいるということを経験する

共同作業の行為であることを沢山学ばせていただきました


そして、私はその2ヶ月後の7月に


娘のわずか4ヶ月の人生を通して


神様が生きて働かれていること

神のみことばが真実であること


それを娘の僅かな人生の時間とその人生の最期の一幕で


聖書全体、それも黙示録の約束が真実であることを


経験させてもらい


私は聖書の約束


特に黙示録を読み直すために一人でギリシャはパトモス島にいくことを導かれ


妻に許可いただき、その渡航費用が与えられたので


三日間パトモス島に一人で祈りと神のみことばに浸るために


時間を過ごさせていただいたのです


次女を妊娠してから天に召されるまでの


約14ヶ月


僅かなその時間の中で次女を通して人生に最も大切なことを学ばせていただきました


それぞれ長さの違う人生の時間


長くても短くても


天地創造の神様は


永遠の命を与えてくださいます


娘とまた再会する日を楽しみに


永遠の命に至る


イエス様の十字架と復活と再臨のメッセージを


これからもまた伝えていきたいと思います


イエスキリストは誕生して


人類の罪を赦すために身代わりとなって十字架にかかって死なれて


三日目に蘇り


全世界にイエス様の救いの知らせが届くときに


またイエス様は地上に帰って来られて


創造されたすべてのものを朽ちない、滅びない新しい形に創造してくださいます


そして、イエス様を信じる者は


滅びることなく


新しい体で永遠に生きていくことができるのです


その永遠に生きる希望の鍵は


イエスキリストを呼び求める人に神様ご自身が与えられるのです


神様の人類への計画


私への


あなたへの計画があります


その裏切らない、変わらない約束の素晴らしさを


神のみことばを体験しながら


是非とも味わってください


東日本大震災で地震で発生した津波で


多くの方達の命が失われました


人を死に至らしめた津波ではなく


人を命に導く愛の波が


このいわきから


福島から


日本から


全世界に広がっていきますように


次女愛波の14周年メモリアル


今年も変わらずにこのことを一番大切なこととして


世界にメッセージを届けていきたいものです
































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