父の日に故郷新潟から考えたこと
- アイラブジーザスチャーチ

- 6月16日
- 読了時間: 4分
更新日:6月16日
2025年6月14日従兄弟の突然の死で訪問した新潟で
父の日に天の父なる神様に
イスラエルと中東問題と我が家の親族問題と共通の痛みと苦しみから
イエス様にある平和をさらに祈り求めていきたいと願います
新潟県の故郷で従兄弟が突然農作業中に倒れて亡くなった知らせを受けて
遺族である叔母さんや従兄弟の奥さん、そして子供達と
顔と顔を合わせて祈りの時間を持たせていただきたく
東京駅から燕三条駅に向かいました
従兄弟が亡くなった知らせを受けたのが6月12日
いわきから東京へ移動する電車の中でした
6月11日に両親と弟妹で作っているグループLINEで
私たち家族のイエス様への献身と
教会の働きのきっかけとなった親戚のおじさんの自死を振り返り
その死を決して無駄にしないようにイエス様からいただいた
信仰の原点に立ち続けて歩んでいこうと励まし合ったその翌日
その49歳で自死で亡くなったおじさんの息子が
親から受け継いだ農業をしているその最中に59歳の若さで
トラクターから田んぼの畦に向かう途中で倒れてそれが最期となりました
おばさんは私にとって母の姉
母の兄姉の一番上のお姉さん
夫に49歳で先立たれ
そして85歳になったおばさんは
今度は59歳の息子に先立たれて
そのおばさんの痛み、悲しみ
そして、その従兄弟と歩んできた奥様へ慰めの祈りを捧げさせていただきたく
新潟県は燕市に行って帰ることができました
このご家族の痛み
それがあって父は聖書学校に行く決意をすることになりました
おじさんの自死は私が小学校5年生のことです
今から36年前
あの時の親戚中に走った悲しみと痛みは今もその記憶は忘れていません
いわゆる先妻の長男として生まれたおじさんは
後妻の子供達との遺産相続問題で苦しみました
自分さえいなくなれば
この遺産相続問題は終わるだろう
その自死の決断は残された家族や親族には脱ぎきれない痛みとなりました
後妻の長男で生まれた私の父は
同じ境遇で生まれ育った妻の姉の旦那の悩み、苦しみ気づいてあげられなかった
その悔しさが
まずは身内から二度と自死を選ぶことをさせたくないと
その思いに至り
1990年の昭和から平成に元号が変わったその翌年の
平成2年の4月に大阪市にある大阪聖書学院に学ぶために
父は家族を連れて学びに行くことを決意します
ですから、おじさんの自死の翌年
小学校6年生のとき
父が入学希望をする大阪聖書学院の見学に
家族で行きました
新潟県しか知らない私は
大阪に初めて足を踏み入れて
マクドナルドでご飯を食べた時の周りのお客さんの大阪弁の会話は
人生初めての衝撃的な異文化体験をした日となりました
さて、大阪で2年の学びを経て
一家は新潟県の生まれ育った三条市の隣町
加茂市に引っ越しをすることになります
そこには父と母がクリスチャンとなり
私たち兄妹も一緒に通った教会があったからです
我が家は自分たちで家で教会の働きを始めることになり
今でいう家の教会のスタイルで礼拝を守っていくことになります
おじさんの自死がきっかけで父が心動かされた経験は
私たち家族をイエス様の働きのために人生を捧げる
そのような人生の方向性を変えた
この親戚の36年前の出来事から
私たちはイエス様の働きをさせていただくようになり
そして、今回、従兄弟の家族のもとへと足を運び
おばさん
奥さん
お子さんたちに
イエス様の慰めと励ましの祈りを捧げさせていただけました
36年間
私たち家族はおじさんの死を無駄にしないようにと
その思いを与えられて
イエス様のおかげで
従兄弟家族のためにイエス様の名前で祈れる機会となりました
これからもおばさんや残されたご家族のために
母は姉妹として
私たちは親族として
残されたご家族のためにできることをさせていただければと願っています
戦争であれ
遺産相続であれ
人が死を選ばなければらない
人が死を避けられない出来事は
本当に心痛むことです
そうならないように神様の愛を実践し
痛みを経験したら
それが誰かに連鎖しないように
キリストにある愛と平和の実践をしていきたいものです


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